Life31.12.2015
開業祝いとして豆珈房さんにいただいたものを、しばらく大事に冷やしておいてました。
何より驚き、嬉しかったのがこのラベル。わざわざ探してくださったんですね!
フォントもOptima…?かな?近いですよね。
ギュッと甘くてフルーティなソルテーヌ。贅沢なお味です。
美しい色や密度の高い甘み、貴腐ワインでありながら、どこか気さくなフレッシュさ。
ああ〜来年がこんな年になるといいなぁ。
豆珈房さん、ありがとうございました&ごちそうさまでした!
Life27.12.2015
全米20州、46の美術館を、30年間騙し続けた稀代の贋作画家マーク・ランディス
(公式サイトより)
アートというものに何かしら思うところがある人間なら(そうでなくてもきっと)この一文だけで、ぐぐいと引き込まれてしまうことであろう。
なんて凄い、なんて痛快。彼は一切の金銭を受け取っていないので無罪ということらしい。まさに悪のヒーロー。
そんな期待をして観ると鮮やかに裏切られる。
アメリカの作品らしいドラマティックな演出と音楽が、この作品にはよく似合っていた。ドキュメンタリーでありながら、謎を解いていくような緊張感。
ある時は神父、ある時は資産家に扮し、赤い洒落た車に乗って、作品を寄贈して回る。彼の行動、それそのものがアートだ。
…と、思った。そういう解説もあったし、それを期待して観た。
クライマックスは彼の展覧会。美術館を騙し続けた彼の作品を、年表のように展示していた。この年にこの美術館にこの作品を寄贈、次の美術館ではこれを、ここで贋作とバレる、など。
展覧会を前にいつになくそわそわする彼。彼を追いすぎて(もはやそれは愛であり恋)仕事まで失った美術館職員と、なかなか顔を合わせようとしない。精神科に通い続けている彼は、自分がしているのは慈善事業だと言い張り、ことの重大さを理解できないほど重篤な心の病に冒されているように描かれているが…彼は自分がしてきたことを理解しており、恐れていることがここで感じられる。そして「芸術家と話したい」と言って美大生などを探しウロウロ。「私は芸術家じゃない…私のは…」正確ではないと思うが、この後の言葉に少し泣かされてしまった。なんて哀しい、なんて愛しい。
しかしそんな終わり方はしない。妖しげなテーマ曲と共にニヤリとさせられるエンディング。いや、終わらない。終わってはいない。彼の「アート」は今でもどこかで…そう思うと、ああ、なぁんだ、観た人全員が騙されたんだ。
映画はエンターテイメント。アメリカらしい、でもいつものアメリカらしくない、いいドキュメンタリーだった。
Column24.12.2015
高校は卒業してたと思う、でもまだ若かった。名古屋に遊びに行くところだった。丁度、父が名古屋まで行くとかで、乗せて行ってもらうことになった。
休日にスーツを着込んで、サービス残業ならぬサービス出張だったと思う。お世話になってる先生が、とあるコンテストに出るとかで、その様子を見に行くのだと。コンテスト会場は商業ビルで、私も買い物したい場所だったので、少し付き合って見ることにした。
吹き抜けの会場を上から眺めていると、父がニヤニヤしながらやってきた。「お父さん担当の〇〇先生ね、バカ殿の仮装で出るんだって」どうもエンターテイメント色の強いコンテストらしく着ぐるみ上等の会場で、こりゃ負けられんと急遽衣装を買いに行ったらしい。そもそもクレージーキャッツに始まり初期のザ・ドリフターズなど、コミックバンドが大好きな元ジャズマンの父だ。そういう試みが楽しくてたまらない。私も、それならと少し時間を延ばして見学していることにした。
さまざまなネタを仕込んだ出演者が、次々を腕前を披露して行く。人前でできることがあるっていいなぁ…人を楽しませるってすごいなぁ…。父担当の先生も、予告通りバカ殿の衣装でサックスを演奏しながら、笑いあり、歓声ありのステージを見せてくれた。
その時だ。演奏を終えて舞台の袖に降りてきた先生に父が駆け寄って、さっとサックスを受け取った。お疲れさまです…良かったです…そんな言葉を掛けたのだろうか。汗をかいてる先生と一緒に、にこやかに奥へと消えて行った。
当たり前のようにサックスを受け取った父。きっと普段から父がメンテナンスしてるのだろう。楽器とは、とても大事なもののはず。先生は父を信頼してくれてるのだろう。だから自然に、当たり前のように手渡した。そう思うと、なんだか羨ましくて、ああいう仕事がしたい、心からそう思った。
父の仕事は別に、誇らしいものではない。(前にも書いたが)自慢できるような地位も名誉もない。でも、それでも。難しくはないけど、好きで、ちょっと得意で、誰かに信頼されるような。そんな仕事って、別に羨ましがれたりもしないだろうけど、いつかできたら。
それはずっと、そう思ってる。
-Frohe Weihnachten.